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法華経

人は誰もが時に悩み、迷いながら生きています。
そして大きな困難に突き当たり、その都度多くの時間を掛けて解決策を見出そうと苦慮を重ね、 疲れ果て、争いに発展する事もあるでしょう。
しかしそんな時、これらの課題を解決すべく道しるべとなるものが有ったとしたら、 人はそれほど大きな気力や労力を消費すること無く、またはもしかしたらその様な状況に追い込まれる前に、 問題を回避出来るかも知れません。

藤井聡太さんで盛り上がる将棋の世界では、「定跡」や「手筋」と呼ばれるものがあります。 これらは結局のところ、将棋の対局において「この様な状況では、こうするのが一番良い」といった 教えの集まりの様なものと言えるでしょう。
最近はAI将棋が形成判断する場面を見掛ける機会が多いですが、AIもこの「定跡」、「手筋」、 過去の棋譜データなどを詰め込み、その上で駒の配置や玉形などから優劣を見極めます。
たとえプロの棋士であっても、もし「定跡」を学んでいなかったとしたら、たった一手指すのに それこそ何日掛けても最善手に辿り着けない、ということも珍しくないでしょう。

長い時間を経て熟練の将棋指し達が築き上げてきた将棋の手本。
いわば法華経は、「人生」という名の盤面上に展開される、数々の難題に対処すべく定跡や手筋のような ものではないかという気が致します。

さて、前振りが長くなってしまいましたが、法華経について少し語って行きましょう。
日本の仏教の主な宗派はいずれも大乗仏教と言われるものに分類され、法華経はその経典のひとつで、 お釈迦様の教えの集大成とされるものです。
法華経の正式名称は妙法蓮華経で、その内容は28章に分かれています。
多くの人々に長きに亘り唱えられてきた法華経は源氏物語等の文学や芸術の世界にも大きな影響を与え、 法華経に勝るお経は他に存在しないとも言われて来ました。
「諸経の王」とされ、専門家による出版物や訳書も多く、現代においても生きる上で大切な指南書として絶大な支持を得ています。
それでは、世界中の宗教における法華経の位置付けはどうなっているのでしょうか。
世界にはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教他、様々な宗教が存在します。
そのうち、仏教の占める割合は全体の7.0%です。世界的にみると少ない様にも思えますが、 日本国内においては仏教と神道でほぼ二分しています。

仏教経典のひとつである「法華経」は、お釈迦様が出家後に菩提樹の下で多くの弟子達に説かれた教えであり、人は誰もが平等に成仏出来る、とされています。 過去でも未来でもなく、「今を生きる」ことが大切である、と教えられています。
また、動植物含む全ての生き物に「仏の心」が有るとされ、その全ての仏様に感謝し、手を合わせるのが「南無妙法蓮華経」です。 究極の真理・妙法についての教えと泥水に生えながら泥に染まらない美しい花・白蓮華から名付けられ、天台宗では法華経が最高のお経となります。
お経にはお釈迦様の弟子19人の如来、観音様の代表「菩薩」が多く登場しますが、観音様はどの時代でも何処でもどんな生物に対しても、観音菩薩の名を唱えれば救われる、と説かれています。
法華経は久遠の仏・釈迦の大慈悲により人々の苦しみを和らげ、世の中の幸せを願い、庶民が無限に救われる事を示しています。

◆法華経の由来と歴史

法華経は紀元前にインドで「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」という名で広まりました。
その経典が中国に伝わり、僧侶である鳩摩羅什が「妙法蓮華経」と訳しました。
インド圏の論書にも法華経の引用があり、サンスクリットの写本も中央アジア・ガンダーラ・ネパールで多数発見されますが、インドでは法華経は重要視されていなかった様です。
紀元前後の大乗仏教では、その時代に合った経典が大量に編纂され、法華経も初期の大乗仏教時代に作られています。 日本では聖徳太子の頃に伝わり、法華経が成立したのは西暦40年頃と推測されています。
中国・日本では法華経は重要視される経典となり、人々を救うバイブル的な存在として古来より宗派に関わらず読まれ続けています。 延暦寺の天台宗において国内では初めて法華経が研究され、鎌倉時代には法華経は重要な役割を果たし、学僧だった日蓮・道元・親鸞・法然も影響を受け、室町時代には京都の多くの庶民が信仰するようになりました。

現在の千葉県鴨川市に漁師の子として生誕した日蓮聖人は、飢饉や伝染病・自然災害や紛争などで混迷する鎌倉時代に「立正安国論」を著し、幕府最高権威・北条時頼に献上しました。
法華経の精神こそ真実があり、国を救うにはこれしかないとの考えから、多くの困難にぶつかりながらも強い信念で日本に広めました。
日蓮聖人は16歳で天台宗清澄寺に出家し、4年間修行します。32歳までの10数年は比叡山や薬師寺・高野山などで勉学に励み、混迷した世の中ではお釈迦さまのお経こそが人々を救うと確信しました。
初めて「法華経を心の拠り所にする」という「南無妙法蓮華経」を唱え、この時から「日蓮」と名乗るようになります。 身延山で多くの弟子・信者と共に日夜法華経の講義や唱題修行に精進され、61歳で生涯を閉じます。
現在、法華宗は全国に5000の寺院を有し、世界中に広がっています。

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